93:婦人服の「マルサン」 【末広町商店街】
・高級婦人服扱い75年瀬戸市の深川神社前の宮前橋から南へ。末広町商店街のアーケード街の入り口に婦人服専門店「マルサン」がある。「バルマン」、「三星ドレス」など国内外の高級ブランドを多数そろえる。2代目店主の掛布将之(かけのまさし)さん(72)、妻の幸子さん(同)がのれんを守っている。 親類の呉服屋で外商をしていた父親で初代の浩さんが1939(昭和14)年、生地販売と仕立てをする洋装店として末広町商店街の中ほどで創業した。当時は花嫁修業の1つに和裁、洋裁があり、嫁入り道具にミシンを持っていく時代だった。母親の君江さんは洋裁学校を卒業しており、将之さんは「瀬戸では洋裁の技術を持つ人は少なく、店は繁盛した。洋服を縫うだけでなく、店で洋裁も教えていた」と、創業期を振り返る。 戦火が激しくなった44年に一旦、店を閉めて江南市に疎開した。店を再開したのは8年後の52年だった。その後、66年に現在地に移転した。再開から移転しての数年間は戦後の復興期。将之さんが高校を卒業後、静岡県で修業を終えて店に戻ったころでもあった。 「そのころは集団就職で地方から瀬戸へ働きに出てきた女性も多く、既製品にもいいものが出始めていた」と将之さん。そこで、その女性たちを対象に防寒コートやオーバーなどを安く並べてみたところ「飛ぶように売れた」という。また、店の生地を活用して、“アッパッパー”と呼ばれたハワイの「ムームー」様のワンピースを作って夏の家庭着として売り出したところ、「これもよく売れた」と幸子さん。 世間がおしゃれに関心の目を向けていることを感じとり、「これからは既製品の時代になる」と、「洋装店」から「洋品店」に業態を転換した。さらに既製服からプレタポルテ(高級既製服)志向になっていくなかで、2人は「安売り競争では将来が見通せない」と、高級既製服を主に扱う店へと舵を切り、店の拡大に力を注いでいった。 将之さんは、「先代は店でファッションショーを開いたりもしていた。時代の風をいち早く読む力があった」と語る。「高くていいものが売れなくなり、低価格の洋服店が郊外に進出する中、販売路線を変えずに商店街で商売が続けられるのは、経営方針が正しかったから」と将之さんは先代に感謝すると同時にこれまでを振り返る。 まわりの衣料品店が商売をやめていく中で、店を持続させていくむずかしさを痛感している。それでも商売を存続させていくことが、2代目としての役割であり、地元の人たちから愛され続けてきた店としての使命だと話す。 【あゆみ】 【メモ】 番組に対するご意見・ご感想をぜひお聞かせください。 |
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