50:「たざい酒店」 【效範西部商店街】
・御用聞き 信頼築く瀬戸市松原町。水野団地へと続く旧道沿いに「たざい酒店」はある。店の奥の壁一面にはめ込まれた大型ショーケースに、一時期にコンビニエンスストアだった名残をとどめる。 店主の田財武男さん(78)が1959(昭和34)年4月、たざい商店として現在地に創業。3年後に酒類販売免許を受け、酒店として再出発した。以来半世紀以上、妻のたず子さん(75)と2人3脚でのれんを守ってきた。 田財さんは中学卒業後、市内の酒屋で8年間、住み込みで働いた。酒屋での奉公は市内第1号だった。自転車に乗って御用聞きに回り販売のノウハウを学んだ。元々人と接することが好きな性格で、「今、考えれば大変でしたが、お客さんにはよくしていただき楽しい修業時代でもありました」と振り返る。 24歳で独立した。ところが、酒類販売免許がなかなか受けられなかったという。「営業努力をすればするほど、酒販組合の反発を買いました。新参者には閉鎖的な時代でしたね」。公的機関が仲立ちして免許が下りたのは、3年後のことだった。それまではたまりや味噌などとともに、顔と名前を売り続けてきた。 免許を受けた当時、瀬戸には大型のショッピングセンターがなく、御用聞きをすればするほど注文がもらえた。「少量の注文でもとにかく快く動いたのがよかったのか、お客さんも徐々に増えるいい時代でした」と田財さんは懐かしむ。 順調にきた業績に陰りが見え始めたのが90年代前後。89(平成元)年に消費税法が施行(3%)され、郊外には大型ショッピングセンターや酒のディスカウントショップが出始めた。御用聞きの酒屋が生き残るのには厳しい時代の幕開けだった。これまでの信頼関係から、多くの顧客が付いていたが、「お客さんも代替わりの時代に」。先を考えなければいけなくなった。 そこで、大手チェーンとのコンビニ店の契約に踏み切った。24時間営業ではなかったが、「妻と2人だけの個人店では体力的にも厳しく、食品の早い廃棄処分にも抵抗がありました」と田財さん。また、大きな駐車場を備えたコンビニも増え始めたため、10年ほどで契約更新を断ち、元の酒屋に戻した。 御用聞きで地域を回っていると、色々な相談を受ける。多いのが縁談。これまでに30組ほどの縁を取り持ってきたという。「信頼されているから相談があるのかな。ありがたいことです。商売人としてこれまでの接し方が間違いではなかったと思いたいですね」と、控えめに語る。 田財さんは、民生委員を75歳まで25年間務めた。瀬戸市防犯協会連合会や青少年センター役員なども務め、地域や子どもたちの見守り活動にも尽力してきた。こうした奉仕活動からも、その人柄をうかがい知ることができる。 14年4月の消費税引き上げを機に、田財さんは店ののれんを下ろすことを考えているという。55年の歴史を築いてきた同店。田財さんは、「続けてよかった。寂しい思いでいっぱいだけど、長い間、店を開けられたのはお客さんのおかげ」と、充実感にあふれた顔を見せていた。 【あゆみ】 【メモ】 番組に対するご意見・ご感想をぜひお聞かせください。 |
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